世界で最初の骨髄移植は、1958年に旧ユーゴスラビアで行われています。原子力発電所の被曝事故がきっかだったとされています。 「大量被曝でリンパ球がゼロになってしまった。どうしよう。そうだ健康な他人の骨髄を移植すればいい」。現場の医師のそんな機転から、この治療法は生まれたようです。
この時代に、無菌室などありません。HLAのことも、ほとんど何も分かっていなかったでしょう。だからこの時移植を受けた患者は、すぐに死んだものと思われます。
冷戦時代のバルカン半島で生まれた、この治療法は長らく忘れられていました。これを蘇らせたの一人の博士です。彼は、70年代の前半に、ほとんど信じられない数(数万?)の移植をこなして、骨髄移植を体系化していきます。その過程では累々たる屍が築かれたのでしょうが。無菌管理の技術の発達によって、骨髄移植は現代医学のなかに地位を占めるようになりました。 日本でも1976年に、名古屋大学付属病院で最初の骨髄移植が行われています。
骨髄移植は、超一流大学の近代的研究室で、ノーベル賞級の頭脳が徹底的な思索と実験の果てに生み出した治療法ではありません。文字通り火事場のドサクサで生まれた「野戦病院の技術」なのです。
もちろん、最初の骨髄移植から比べて現在のそれは、各段に洗練され、安全な治療法となっています。しかし多田富雄教授は、骨髄移植など「野蛮な治療法」だと言い切っています。免疫についてはまだ分かっていないことが多いのに、その根源である造血細胞を入れ換えることが、免疫学の泰斗には「野蛮」と映るのでしょう。 いまだに骨髄移植は、やってみないと何が起こるか分からない、荒っぽい治療法です。骨髄移植につきまとう、荒っぽさは、「野戦病院の技術」というその出自と、無関係ではないように思われます。
原発事故から骨髄移植は生まれました。原発は、原爆開発の副産物です。この意味で骨髄移植は、原子爆弾の孫技術なのです。「おじいさんは原子爆弾」と言ってもいいかも知れません。 治療中の患者は、途方もない苦しみを味わうわけですが、それはどこか広島・長崎の被爆者の苦しみとも重なるように思いました。
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