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・加齢御飯さん
(骨髄異形成症候群)

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  2006/07/24 ライザ・ゴルバチョフの死

 ソ連最後の最高指導者ゴルバチョフ第一書記の奥さんであるライザ・ゴルバチョフも、私と同じ時期に白血病と闘っていました。彼女には、何となく親近感がありました。モスクワ大学で学んだ、社会学徒だったからです。中央アジアのウズベキスタン共和国で、彼女は少女時代を送っていますが、ここにはソ連の核実験施設があります。おそらくかなりの放射能被曝をしたことは確実で、それが発病の遠因と考えられます。 67歳の高齢でしたが、骨髄移植に望みをつなぎ、ドイツの病院に入院していました。彼女の病状は、自分の入院中もずっと気になっていました。 

 骨髄移植の本格的治療は放射線照射から始まります。これをやると、骨髄は破壊され、使い物にならなくなります。だから、移植という列車から下りられなくなるのです。 通常、移植を受ける患者は放射線照射の始まる2週間前に入院し、数十種類の検査を受けます。治療の過程で起こりうるトラブルを予見するためになされます。骨髄以外のすべての部位が健康であることが移植を成功させる最大の条件だとも言えます。

 最初は大きかった移植への不安も、検査が進み、自分の身体が極めて健康(骨髄を除く)であることが確認されるうちに、徐々に小さくなっていきました。 放射線照射前の最後の検査を終えた金曜日の夕方、私はもう「なるようになれ」と、「まな板の上の鯉」の心境でベットの上にいました。その時測った肺活量が6000もあり、気分をよくして、むしゃむしゃとアイスモナカ(100円)を食べていたのです。

 すると、同室の60がらみのおっさんが、夕刊片手にぼくのベットに走りよって来ます。「加齢御飯さん、大変だ!ライザ・ゴルバチョフが死んだよ。放射線照射の最中だって。あんたも気をつけな!!」。 ああ、なんといらんおせっかいを。気をつけろったって、何を気をつけたらいいんじゃ!!!いや、この時は恐ろしかった。本気で病院からの脱走を考えました。

 ゴルビーは、「妻が死んだら後を追う」と、江藤淳のようなことを言っていました。しかし、そのライザの死から一月後、。菌室のテレビをみていると、ベルリンの壁崩壊10周年の記念式典で、「壁崩壊」の一方の立役者であったヘルムート・コールとともに、民衆の歓呼に応えるゴルビーの姿が映し出されています。 ほっとするやら、呆れるやら。やはり、日本の文芸批評家風情とは、タフネスが違うと感じ入った次第です。 

投稿者 kotani : 21:34 | コメント (0) | トラックバック (0)
  2006/07/14 「血液型は何ですか」?

 どうして血液型性格判断という疑似科学のような代物が、この国でこんなに幅をきかせるようになったのでしょうか。「血液型は何ですか?」。これはあまりなじみのない人と話す時に、話のとっかかりとして無難なものでしょう。

 出身地の話も、みんなが知っているようなところならよいかもしれない。しかしぼくの生まれた鳥取など印象が薄いようで、「ああ、あの出雲大社の」とかいわれるのがおちです。出身校の話はもっと危険です。たちまち上下序列の感覚がそのなかから生じてきます。血液型は4つしかない。それぞれに与えられた紋切り型のイメージも、どれが上でどれが下ということもありません(「B型差別」というような話もありましたが…)。だから、「無難な話題」ということになるのでしょう。

 しかしぼくが相手だと血液型の話はちっとも「無難」ではなくなります。「血液型は何ですか」と聞かれて、実際にこんなやりとりになったことが幾度かあります。「1999年の10月4日まではAB型でした。同年10月5日以降はB型です」。「は??!」。「白血病に罹って兄の骨髄をもらいました。骨髄移植で問題になるのはHLA=白血球の型です。ABO=赤血球不一致の場合は、ドナーの型に変わります」。

 お気の毒に。相手は凍りついてしまいます。がたがたと震えていた人さえいました。ぼくは99年の10月の4日と5日とで自分の性格が激変したとは全然思いません。血液型性格判断などいい加減なものなのです。入院中、血液内科の若い医者が、やはり若い看護師さん(女性)に「君、血液型は何?」と鼻の下を伸ばして聞いているところを何度かみました。こんな輩の医師免許は取り消してもらいたいものだと思いましたまる



投稿者 kotani : 22:14 | コメント (6) | トラックバック (0)
  2006/07/08 おじいちゃんは原子爆弾

 世界で最初の骨髄移植は、1958年に旧ユーゴスラビアで行われています。原子力発電所の被曝事故がきっかだったとされています。 「大量被曝でリンパ球がゼロになってしまった。どうしよう。そうだ健康な他人の骨髄を移植すればいい」。現場の医師のそんな機転から、この治療法は生まれたようです。

この時代に、無菌室などありません。HLAのことも、ほとんど何も分かっていなかったでしょう。だからこの時移植を受けた患者は、すぐに死んだものと思われます。

 冷戦時代のバルカン半島で生まれた、この治療法は長らく忘れられていました。これを蘇らせたの一人の博士です。彼は、70年代の前半に、ほとんど信じられない数(数万?)の移植をこなして、骨髄移植を体系化していきます。その過程では累々たる屍が築かれたのでしょうが。無菌管理の技術の発達によって、骨髄移植は現代医学のなかに地位を占めるようになりました。 日本でも1976年に、名古屋大学付属病院で最初の骨髄移植が行われています。

 骨髄移植は、超一流大学の近代的研究室で、ノーベル賞級の頭脳が徹底的な思索と実験の果てに生み出した治療法ではありません。文字通り火事場のドサクサで生まれた「野戦病院の技術」なのです。

もちろん、最初の骨髄移植から比べて現在のそれは、各段に洗練され、安全な治療法となっています。しかし多田富雄教授は、骨髄移植など「野蛮な治療法」だと言い切っています。免疫についてはまだ分かっていないことが多いのに、その根源である造血細胞を入れ換えることが、免疫学の泰斗には「野蛮」と映るのでしょう。 いまだに骨髄移植は、やってみないと何が起こるか分からない、荒っぽい治療法です。骨髄移植につきまとう、荒っぽさは、「野戦病院の技術」というその出自と、無関係ではないように思われます。

 原発事故から骨髄移植は生まれました。原発は、原爆開発の副産物です。この意味で骨髄移植は、原子爆弾の孫技術なのです。「おじいさんは原子爆弾」と言ってもいいかも知れません。 治療中の患者は、途方もない苦しみを味わうわけですが、それはどこか広島・長崎の被爆者の苦しみとも重なるように思いました。

投稿者 kotani : 20:10 | コメント (2) | トラックバック (0)

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