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・加齢御飯さん
(骨髄異形成症候群)

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  2006/08/27 遺影

  7年前のことです。移植を前にした8月、鳥取に帰省しました。薬が効いてきたのか、貧血も改善し、比較的良好な身体の状態で故郷に帰ることができました。鳥取に向かう便は「ポケモンジェット」。子どもたちも大喜びです。

 私の病気のことは、家族以外にはまだ話していません。しかし、鳥取で新聞記者をしている、中学以来の大親友には話しておかなければと思ったのです。盆も開けたある日、電話で手短にこれまでのいきさつを話し、「明日会おう。夫婦で来てね」と軽い調子で電話を切りました。「ちょっと大変な治療だけど、頑張ってくる」。「おお、元気でな」。そんな前向きな会見を期待したのです。ところが・・・。

 部屋に入ってきた彼らは、沈痛な面持ちです。涙ぐんでさえいました。「ぼくのおじも、20年ほど前に自らも急性骨髄性白血病で死んだ。彼に続いて君まで同じ病気で失うとは。残念だ」。私は驚いて、「いや、ぼくは骨髄異形成症候群だ。まだ白血病にはなっていない」と説明します。すると・・・。「骨髄異形成症候群」。傍らにいた彼の奥さん(社会保険労務士)が遠くをみるような目つきでつぶやきます。「私の顧客の電気工事会社の社長さんがその耳慣れない名前の病気に罹ったの。京都の病院で骨髄移植をして一月ほどで鳥取の病院に戻ってくるって話だったけど、無菌室で死んじゃったのよね。ああ、短い間に知り合いが二人も同じ病気で亡くなるなんて・・・」。

 彼らに話すんじゃなかったと後悔しましたが、後の祭です。奥さんの方は専門家の見地から「遺族年金は5年以内に廃止される」と涙ながらに何度も繰り返します。「そうか。死ぬのなら5年の内だな」という刷り込みが、ぼくの頭にしっかりとなされたのです。

 そのうち、泣いていても仕方がないから前向きの相談をしよう、何かしてほしいことはないか、という話になりました。彼らとの会見で、すっかり死ぬ気になってしまった私は、「葬式に使えるいい写真がないんだ。それを頼みたい」と答えます。撮影の時、私はVサインを作り「イエーィ(遺影)」と叫びました。

 この夫婦は誰よりも、移植の成功を喜んでくれました。その翌年、彼の自宅を訪れると、幸いにも遺影になりそこねた私の写真が、キッチンのテーブルに飾ってありました。

投稿者 kotani : 18:40 | コメント (2) | トラックバック (0)
  2006/08/15 海水浴

昨年の8月16日に父は亡くなった。しかし本当の命日は、8月10日だとぼくは思っている。この日帰省中のぼくたち一家は海水浴に行っていた。白兎伝説で名高い海岸の隣の海水浴場である。海も砂浜も大変美しい。しかもここは穴場の海水浴場で訪れる客も少ない。子どもたちを連れて少し沖の方まで歩き、さてこれから泳ごうかと思った矢先、妻の呼ぶ声が聞こえた。父が呼吸困難に陥った。すぐに帰れという連絡が入ったのだという。

 ぼくは大層驚いた。海につかっていたら心臓麻痺を起こしていたかも知れない。クルマをもたないぼくたちはタクシーを呼び、父の入院しているホスピスに向かった。ホスピスに着くと兄のクルマが止めてあった。トランクが開いたままになっている。ただならぬ雰囲気である。だめだった。父の最期に間に合わなかった。そう思った。ホスピスに入ると部屋が替わっていた。父はまだ生きていた。そして人工呼吸器につながれていたのである。

 ここはホスピスである。延命処置はしない。しかし、兄夫婦がT医師に頼み込んだ。いまはお盆。もなかやの書き入れ時だ。ここで父が死ぬと商売に大いに差障りが出る。父も、先に亡くなった母も家業を第一に考えた人たちだ。商売の足を引っ張ることは彼らの本意ではないはずだ。なんとかしてほしい。T医師は理解を示してくれた。滅多に使わない人工呼吸器に父をつないだのだ。お盆の間は何とか持ちこたえるだろう。そうT医師は言った。

 T医師のことばどおりお盆の間父は生き続けた。最後の2日間、ぼくは父の病室に泊まった。いろいろな話をした。もちろん父は反応を示さなかったが。お盆開けの16日午前、人工呼吸器が外された。そのわずか数時間後に父は息を引取った。延命機器の威力をみせつけられた思いがした。臨終の時、部屋のテレビはつけっ放しになっていた。父の大好きな高校野球中継をやっていたからだ。末期の水に、やはり父が好きだった日本酒を飲ませた。
 

投稿者 kotani : 12:21 | コメント (2) | トラックバック (0)
  2006/08/03 風呂嫌い

 私が尊敬してやまぬさる思想家は無類の風呂嫌いで知られています。前にいつ風呂に入ったのか。覚えていないといいます。まあ6,7年は入っていないのではないでしょうか。さすがに思想家。、ただの無精ではなく確固たる信念があって風呂に入らないらしい。

 毎日風呂に入るのは日本人だけ。とんでもない水の無駄遣いだ。風呂に入らない遊牧民に伝染病が発生したという話を聞いたことがない。動物でも水浴びをするのはからすのような邪悪な輩で、猫や馬のような風格(?)のある動物はそんなことはしない。そして何より風呂は健康に悪い。老人は一番多く入浴中に死んでいる。うーむ…。

 ぼくはとくに風呂嫌いではありませんが、父はすごかった。20日に一度くらいしか風呂に入らない。まあ、この思想家には遠く及びませんが。娘が生まれた時は里帰り出産をしました。出産直後の産院に父が見舞いにきてくれました。えらくさっぱりした様子です。「温泉につかってきただ(鳥取は街の真中に温泉が出る)。大方一月入っとらなんだけえなあ。赤ん坊に会うにはきれにせんといけんと思っただ」。父の親心(爺心?)には深く感謝しましたが、ぼくの頭には「公衆衛生」ということばが浮かんできました。父は県の食品衛生組合の理事長を長年務めた人でもあったのです。後から入る人が気の毒なような気もしてきました。

 ホスピスに入った後の父は入浴を楽しみにするようになったそうです。あれほどの風呂嫌いだったことを思うと、それこそ「死ぬ前」だったのでしょう。死につながった心臓発作を起こしたのも、やはり最後の入浴中のことでした。風呂嫌いが風呂で命を落とすきっかけを作るとは。複雑な心境になります。父の死の直後のことです。T医師が「ちょっと、ちょっと」と手招きをする。ぼくら兄弟が行くと、T医師は「おじいちゃんのエッチな写真があるけえ。」といってみせてくれたものがあります。それは父が、花を浮かべた湯船のなかで、愉悦の表情を浮かべている写真でした。
 

投稿者 kotani : 07:51 | コメント (0) | トラックバック (0)

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