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7年前のことです。移植を前にした8月、鳥取に帰省しました。薬が効いてきたのか、貧血も改善し、比較的良好な身体の状態で故郷に帰ることができました。鳥取に向かう便は「ポケモンジェット」。子どもたちも大喜びです。
私の病気のことは、家族以外にはまだ話していません。しかし、鳥取で新聞記者をしている、中学以来の大親友には話しておかなければと思ったのです。盆も開けたある日、電話で手短にこれまでのいきさつを話し、「明日会おう。夫婦で来てね」と軽い調子で電話を切りました。「ちょっと大変な治療だけど、頑張ってくる」。「おお、元気でな」。そんな前向きな会見を期待したのです。ところが・・・。
部屋に入ってきた彼らは、沈痛な面持ちです。涙ぐんでさえいました。「ぼくのおじも、20年ほど前に自らも急性骨髄性白血病で死んだ。彼に続いて君まで同じ病気で失うとは。残念だ」。私は驚いて、「いや、ぼくは骨髄異形成症候群だ。まだ白血病にはなっていない」と説明します。すると・・・。「骨髄異形成症候群」。傍らにいた彼の奥さん(社会保険労務士)が遠くをみるような目つきでつぶやきます。「私の顧客の電気工事会社の社長さんがその耳慣れない名前の病気に罹ったの。京都の病院で骨髄移植をして一月ほどで鳥取の病院に戻ってくるって話だったけど、無菌室で死んじゃったのよね。ああ、短い間に知り合いが二人も同じ病気で亡くなるなんて・・・」。
彼らに話すんじゃなかったと後悔しましたが、後の祭です。奥さんの方は専門家の見地から「遺族年金は5年以内に廃止される」と涙ながらに何度も繰り返します。「そうか。死ぬのなら5年の内だな」という刷り込みが、ぼくの頭にしっかりとなされたのです。
そのうち、泣いていても仕方がないから前向きの相談をしよう、何かしてほしいことはないか、という話になりました。彼らとの会見で、すっかり死ぬ気になってしまった私は、「葬式に使えるいい写真がないんだ。それを頼みたい」と答えます。撮影の時、私はVサインを作り「イエーィ(遺影)」と叫びました。
この夫婦は誰よりも、移植の成功を喜んでくれました。その翌年、彼の自宅を訪れると、幸いにも遺影になりそこねた私の写真が、キッチンのテーブルに飾ってありました。
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