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40を過ぎてぼくはがたっときた。大病をした直後にはそれこそボロボロだった。70代と思しき女性から電車で席を譲られたことがある。髪は真っ白になった。みるからに老人である。子どもの運動会で敬老席に招かれた時はショックだった。骨子や太郎の友だちでぼくのことを「おじいさん」だと思っている子も少なくない。身体も頭も弱りきっている。「加齢」という運命を受け容れて生きていく他はない。
ところが森光子はどうだ。80を過ぎても物凄く若若しい。舞台ででんぐり返しもやるし、外見はどう見ても40代か50代である。吉永さゆりや大地真央も同じ路線をたどりつつあるようにみえる。しかしこれはよいことなのだろうか。その年代、年代の美しさを表現してこそ大女優ではないのか。日本を代表する女優たちがいくつになっても若若しいということは、「加齢の美」を、歳をとることの価値を表現する者がいないということになりはしないだろうか。
結局この国では若さが至上の価値なのだ。日本の中高年は、ただの古びた若者であると関曠野さんはいっていた。至言だと思う。「ちょい悪おやじ」は「小僧っ子」に、「二キータ」たちは「小娘」に敵愾心を燃やしている。腹が出たりいろんなところが垂れ下がってしまった中高年は、とても若者にたちうちできない。だから高価なアイテムで自分を飾ろうとする。そういう連中の消費行動が一つの市場を形成している。
加齢を拒否する空気がこの国を覆っている。加齢の拒否とは、自分の弱さを認めることの拒否であると同時に、自分が死に逝く存在であることをも拒否しているのだと思う。そして加齢を拒否する人々の姿は、没落という事実を受け容れようとはせず、勢いを増してきた近隣諸国(小僧っ子・小娘)に嫉妬して悪あがきを続ける、この国の姿に重なるものでもある。そういえば安倍晋三も異様に若くみえる。
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