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2005年07月26日 ボランティア活動が日本の医療をよくする

「患者の生き方」 より

ボランティア活動に参加して、病院を潤いのある場に。 
病院の機能が高度化し複雑化するとともに、病院では多くの人手が必要となっています。ところが、多くの公立病院や大病院は現実問題として赤字に悩み、人手を増やすことができません。一方で、医療費をこれ以上増やさないことも社会全体にとっては大事なことです。

 ボランティア活動として、病院の中で困っている人を案内したり、子供や老人の患者さんに本を読んであげたり、ちょっとした身の回りの世話をしたりする人がいると、病院の殺伐とした雰囲気に潤いがもたらされ、人が癒される場になると思います。

医師や看護師も、本来は他人の世話をするのが好きであっても、多忙になり過ぎて、そうできないこともあるのです。余りに忙しくて仕事に追われると、どうしても気持ちが荒立ったり、とげとげしくなります。そして、患者さんに乱暴に接したり、関わらないようにと冷淡に接したり、無関心を装うことさえもあるのです。

医療職の仕事が少しでも軽減できると、おそらく病院全体の雰囲気も明るく変ります。

ボランティアの活動には、純粋に他人のためだけのものではなく、自分自身のためにも役立つ面があります。

上田紀行さんは、「がんばれ仏教」(NHKブックス)の中で、「北の豊かな国が南の貧しい国を助けるというボランティア観からの脱却が必要である」と訴えています。「日本から海外にボランティア活動のためにいった人を、現地では、お客さんとして迎え、こちらもサービスしようか程度の、もっと冷めた目で見ている。」との有馬実成氏の言葉を添えられています。

ボランティア活動は、それを行なう人自身が救われているという見方が必要です。
「いのちの研究会」を主宰する町田宗鳳さんは、私の尊敬する宗教学者の一人です。大学の教授でありながら、自宅の近所の病院にいき一個人としてボランティア活動をされています。そして、患者さんとの会話をしたり、痛い体をさすってあげたりなどして、ご自身が患者さんから色々と学ぶものがあると書かれています(「身軽にいきましょうや」 説話社)。

日本ではボランティア活動が少ないといわれていますが、決してそんなことはありません。神戸大震災の時には、日本全国から若者がボランティアとして集まりました。

マザーテレサが有名になってから、その活動にあこがれる日本人が大勢カルカッタに手伝いに行った時期がありました。マザーテレサは、若い日本人に向かって次のように諌めたそうです。「このように、カルカッタには物質的に貧しくて困っている人は沢山いる。しかし、私が訪れた日本は、精神的に恵まれた環境ではなく、心の貧困さのために困っている人はもっと大勢いたではないか。その人に手助けをしようとしないで、インドに来て一体何をしようとするのか。」という内容だったそうです。

非常事態のあった時に、他の人の役に立ちたいという気持ちは、素晴らしいと思います。インドという非日常の生活で、マザーテレサのような光をはなつ方の下で働くことが、いかに得るものが多いかも理解できます。

しかし、自分の周りに目を向けてみれば、インドのカルカッタや神戸の大震災にあったときと同じように、助けを必要としている人は、いくらでもいるのかもしれません。
自分の身の回りからボランティア活動を始めることが何よりも大切だろうと思います。その一つとして、病院でのボランティア活動というのはどうでしょうか。

ボランティア活動を日本の文化として育てましょう。人は思い思われる中に幸せを見つけられます。人のためにと活動することの喜びを知ることの積み重ねは、健全なコミュニティを形成し、住みよい社会を育てるためにも必要です。

まだ、日本ではボランティア活動をうまく生かしている病院が少ないことが問題ですが、機会が見つかれば、是非参加してみてください。 
 

投稿者 katos : 2005年07月26日 22:17
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コメント

マザーテレサの言葉はとても素晴らしいですね。
何かがあればボランティアの人がたくさん集まる、それは素晴らしいことですし、進んで参加しようという心意気はとても尊い物だと思います。
だけど、残念ながらボランティアの意味を少々履き違えている人も多いという現場の話を時々耳にします。昨年の新潟中部地震のときも、全国からボランティア志願の人が多数集まったのはいいが、誰かから指示がないと何もせずにただブラブラしている、宿泊所の斡旋や食料の支給を要求する、コンビニが開いていないと文句を言うなど、現場を混乱させる行為が意外に目立ったと聞いています。
せっかくの善意を無駄にしないためにも、まだまだ啓蒙活動の必要があると考えているのは私だけでしょうか?災害時はしょうがないとしても、受け入れる側の体勢もしっかりさせておく必要があると思います。

私も、少しではありますがこの場を通じて医療の世界に首を突っ込んでいる身ですから、機会があれば、勉強のためにも是非医療ボランティアには参加してみたいと思っています。ボランティアの経験はないし、果たして自分に務まるだろうかという不安はありますが、それは杞憂なのかもしれませんね...。^^;

さて、我が地元の病院はどうなっていることやら....。

投稿者 GOROさん : 2005年07月27日 19:03

 おはようございます。
 GOROさんがたがこのような体験談を書かれるだけでも、すでにボランティアをされてると思います。
 同じ病気を抱えている人だけでなく、私にとってもいつも心身共によい勉強になっています。
 その上にさらに何かされたい御気持ちに力強さを感じました。

 近くの癌センターで、シルバー世代の健康な方が、午前中だけ外来でのボランティアを同じエプロンをしてされています。
 最近病院が建て変り、ITのシステムががらりとかわり、その上広いので玄関で戸惑う患者さんの案内とか車椅子を押して下さったり、入院のかたの荷物を手伝って持ったり…。
 そのボランティアのかたの生き生きした表情が印象的で、シルバー世代のゆっくりと丁寧な応答にとても好感がもてました。

投稿者 昼行灯さん : 2005年07月28日 06:27

そうですね。ここに執筆してくれている人は、ボランティア活動として行われているのだと思います。改めて感謝いたします。

あちらこちらの病院や介護施設などで、ボランティアを生かせるようなシステムが作られるとよいですね。現場ではボランティアを募ることに消極的であったり、余りにも単純な仕事ばかりで応募者に嫌がられたりと、まだまだそのような活動が生かされる仕組みになっていません。

投稿者 加藤眞三さん : 2005年07月28日 17:30

 ボランティアといえば、病棟実習をしている間は、ずいぶん患者さんたちにお世話になりました。
 点滴とか、やらせてもらうとき、自分がやられてもずいぶん痛いと思うのに、「右でだめだったら左もあるよー」と言ってくれた方。まだ医者じゃないからなにもできないのに、「いつもきてくれてありがとうね」と言ってくれた方。長々と診察させていただいた方、本当にお世話になったと思います。
 大学病院の患者さんたちは、別に僕らの実習に付き合うために入院してきているのではなく、難しい病気だったりするから入院していはずなのに、いろいろ助けてもらって、本当に感謝しています。
 病気の方が、別にボランティアで助けられるだけの存在じゃなくて、ボランティア(?)できることもあるのかな〜、と思いました。

投稿者 foobirdsさん : 2005年07月29日 01:19

ボランティアとは関係ないのですが、今度公開される映画「マザー・テレサ」でマザーの役を演じた、かのオリビア・ハッセーさんの話が印象的でしたので、記しますね。「撮影の前にマザー・テレサの神の愛の宣教者会のシスターにお会いしました。私が今までに出会った中で最も幸せな人に思えました。
最初貧しき者たちの中で最も貧しい人のために働き、貧しさと対峙し続ける厳しい生活を送っているから、
きっと疲れて果てているのでは。と思っていたら、光り輝いていたのです。幸せに満ち歓びに溢れているのです。どうしてかと思いましたら、一人ひとりが、一日にひとつずつ、何か他の人のために実践するということ。もしそれができない時は、考えるだけでいい。それを心がけているのだと分かりました。」
少しずつ、意識して出来ることから始めてみるということなんだなあと思いました。

投稿者 水井さん : 2005年07月30日 09:53

「ダダ酒ほど高いものは無い」・・・
日本の文化でボランティア活動を進めるのには時間や労力がまだ掛かるでしょう。

患者会を持っていても、「なぜ?体が丈夫な人に任せれば」とか「そんなムダな事」・・・いろいろ言われます。

>ボランティアとは違う感じもしますが、同じ病気で苦しんでいる人や治療法を解明するために。。。

投稿者 Kさん : 2005年07月31日 03:17

タダ酒ほど高いものはない、そしてウマイ。
世の中で美しいものはいつも無料ですね。

投稿者 ニノチカさん : 2005年07月31日 17:24

マザーテレサの言葉を思い出しました。
都会で、何よりも飢えているのはそれは、「孤独です」と言って取材されているのを聞いて感動したことが有ります。
物資的な貧困より、孤独な心を癒すこと事の難しさを訴えてられたのですね。

投稿者 (匿名)さん : 2005年07月31日 22:11

私もあるHPで(C型肝炎の)レス付けているんですが、聞くだけ、返事なしの人は多いです
ニノチカ先生のコメント、意味深で思わずう〜んと唸ってしまいました
NETでのレスもある意味ボランティア
その書き込みを見て本当に専門医に掛かってくれているといいのですが。。。
放っておくことで治る可能性もあるものが治らなくなる病気
ちゃんと真摯に受け止めてくれるといいのですが
見返り?相談者が完治してくれること
同病者として、完治の報告ほど嬉しいものはないです
Kさんもやるせない思いもあるでしょうが、自分がかかわった方が完治を勝ち取る喜びもあると思いますよ
きっとそれは医師が感じる喜びと同じかもしれませんね

投稿者 sasadonさん : 2005年08月01日 01:30

foobirdsさん。 そうですよ。若い医師の教育のためといえば協力してくれる患者さんは、本当にボランティア活動をしているようなものですね。

水井さん。 オリビア ハッセイーさんといえば、ロミオとジュリエットを思い出してしまいますが、本当にきれいでしたね。それでも、年を重ねるごとに美しくなる人はもっと素敵です。
最近のオリビアハッセイーさんを見ていませんが、このようなコメントを出来るというのはきっと素敵な熟女になっているのでしょうね。

Kさん。 患者会の世話をされていることは本当に貴重な活動だと思います。しかし、それには見返りを求めない方がよいでしょうね。見返りは求めるのでなく、自分で感じるものなのです。

投稿者 加藤眞三さん : 2005年08月01日 17:10

はじめまして。

地元の済生会川口病院でも医療ボランティアを募集していました。外来受付機の案内、病棟での食事やお茶の配膳手伝い、小児病棟で子どもさんと遊ぶ係りなど。しかしどれも曜日時間固定と言うことで、自分のようにうつ病で働ける時間の一定しない人間には無理そうでした。

現在上智大学のアルフォンス・デーケン先生の死生観を養う講座を受講された方を中心に運営されている「ホスピスボランティアの勉強会」に参加しています。ホスピスのような場所でのボランティアは生と死について高い哲学的(といってよいのか)意識が要求されるようで、それはボランテBアとして実際に役立てることが無くても非常に有意義なものです。しかし、こうした活動に携わったからにはゆくゆくはホスピスボランティアにもチャレンジしてみたいと思っています。

投稿者 なんちゃんさん : 2005年08月05日 18:49

なんちゃんさん。 そうですね。キッペス先生もスピリチュアルケアは、専門のトレーニングを受けた人がやるべきだと言われています。 私は、専門の教育を受けていない人なりのスピリチュアルケアもあるだろうと考えているのですが、まだ結論を出していません。いずれにしても、余程安定した精神を持った人でないと、死に行く人と関わりを持つことはつらいことではないかと思います。

投稿者 加藤眞三さん : 2005年08月09日 14:52



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誠に申し訳ありませんが個別の治療相談は行っておりません。
詳しくは「ご利用上の注意」をご覧ください。

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