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2005年10月30日 Vocation (使命感、天命)

最近、vocationという言葉が気になっている。マザーテレサの映画の中に、その言葉が出てきた。マザーテレサは、まさにこのvocationのために、教会の中でも様々な抵抗にあいながら、自分の仕事を貫くことができたのだ。

日本語に訳すと「使命感」あるいは「天命」とでもなるのであろうか。

このようなものは、勿論他人に教えることのできるものではない。
自分自身の中で本当にやりたいと感じたこと、やるべきであると感じられたことが、vocationと呼ぶべきものであろう。時代の流行に惑わされず、自分自身を見つめようとすることで、それは感じられるのである。マザーテレサの書簡集には、初期の頃にその声が聞こえてくることに対してご自分に戸惑いがあったことが表されている。

先日、医学部での選択科目 「患者学」の授業の中で、私はvocationという言葉があることを意識し、自分自身でよく考えて欲しいと述べた。キッペス先生を迎えての授業が始まる時の紹介の言葉としてであった。それは、キッペス先生の中に、日本にスピリチュアルケアを何とか導入しようという vocation を見たからである。

キッペス先生は、50年程前にドイツからはるばる東の果ての国まで海路でわたり、私が徳島で生まれた誕生日のその日に神戸港に着き、日本に来られたという。その老神父は50年間極東の異国の地で働き、今も医療へのスピリチュアルケア導入のためにと献身されている。キッペス先生との出会いの不思議な縁を感じて、私もそのvocationに加わらんとしている。

キッペス先生は授業の中で、スピリチュアルな生き方とは、自分の核で生きること、自分らしく生きること、そしてvocationに生きることと教えられた。Vocationは、他人が教えることができないものではあっても、vocationを求める姿を学ぶことはできる。そのようなことを医学生にも伝えることができればと願う。

投稿者 katos : 2005年10月30日 22:50
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コメント

Vocation。本当は、誰でも持っているのだと思います。
が、自らの人生を精一杯生きた者にしか、知覚できないようなものではないか?と、最近、感じています。

若いうちに、そのようなものに出会えるかどうか?
その経験は、自らの人生を、大きく左右しそうです。

投稿者 GALANT's Cafeさん : 2005年10月30日 23:36

Galantさん。早速のコメントありがとうございます。
そうですね。本当は誰もが持っているのに、見栄とか、人目を気にしたり、競争に明け暮れたりで、自分で見ようとしていないのでしょうね。

キッペス先生はホスピスでの医療者のバーンアウト(燃え尽き)も、自分が他人に見返りを求めたり、人目を意識していたりするから起きるのだと言われていました。

若いうちにvocationをつかむのは難しいでしょうが、少なくともそのようなものを目指すということを意識するだけでも違うのではないでしょうか。

投稿者 しんぞうさん : 2005年10月30日 23:45

 マザー テレサさんのことを思うとき“vocation”と“無償に愛する”ことが同時に頭に浮かんでしまいます。
 私が若いときは義務と使命感をよく混同していました。 

投稿者 行灯さん : 2005年10月31日 12:46

今や、医は仁術などという言葉は死語になりつつありますが、vocationという言葉は大切にしたいと思います。

投稿者 しんぞうさん : 2005年10月31日 13:43

わたしの場合は使命感と自己犠牲と、共依存と健全なる相互依存。このあたりの混乱があったように思います。
”vocation”
天命・・生かされている感謝が根ざしてこそのようです。まだまだの道ですね。

投稿者 水井さん : 2005年10月31日 15:52

こんにちは。
うつを長く患ううちになんとか自分と同じように苦しむ人の役に立ちたいと思うようになりました。それが自分にとってのvocationかなと思っていましたが、さらに病気が長引くにつれ、自分自身があきらめず納得できる生き方のできることこそ大事なのかなと思い始めています。まず自分がよりよく生きられて初めて人を援助することもできるのかもしれないな・・・と。

13日の臨床パストラルケア全国大会で、先生と上智のリーゼンフーバー神父の講演があるという話をちらと聞き、8000円という参加費にちょっとびくつきながらも行ってお話を伺ってみたいなあと思っています。

投稿者 なんちゃんさん : 2005年11月02日 23:34

あらゆる人間に使命感はあります。これを作って、みんなが楽に暮らせないか?おいしいものを食べてもらいたい、この原理を究明すればこんなことができる、ここがわかれば、こんなことができる。全て、使命感を感じて研究、物つくりを行っているのではないでしょうか。その結果、うまくいけば、達成感が得られる。職業についていなくても、病気で社会に出られなくても、この子のために、配偶者のために、同病の人のために、と、対象が違えど、使命感はあります。それがなければ生きる力を失ってしまうでしょう。結局は、その人の生き方の問題のような気もします。医師の場合は命を助ける、という生物の根幹にある使命感を持っている。使命感を持っている人が医師になっている、いや、なって欲しいという希望なのかもわかりません。納得する使命感があり、達成感を得られる、感動的な職業だと一般人は感じています。

投稿者 患者Aさん : 2005年11月03日 06:06

なんちゃんさん。 名古屋にこられました時には、私にも一声かけてください。二日間会場にいますので。恥ずかしながら、フーバー教授も本当に有名な方のようですね。私は存じていませんでしたが。

患者Aさん。 使命感は誰にも必要とされていながら、講義で教えるようなものではないし、現代社会はそのようなものに価値を置かなくなっているのではないでしょうか。使命感は、自分で考え、感じるべきものだと思いますが、そのようなものを身につけられることを目標にした講座にしたいと思っています。

投稿者 加藤眞三さん : 2005年11月03日 07:55

どんな職業でも「使命感を持って仕事ができる人」というのは、同じ仕事でも中身が濃く、充実するのではないのでしょうか。仕事が上手くいこうがいくまいが、使命感なしにする仕事というものは、つまらないものではないのだろうかと思います。仕事だけに限らず、何かに使命感を持つというのは生きる力を得られるものだと感じます。

投稿者 ななこさん : 2005年11月05日 16:36

使命感をもつ生き方が、スピリチュアルな生き方であるとキッペス先生も話していました。皆さんはどうやって、あるいはどのようにして使命感を身に着けるのでしょうね。

一方、使命感がなくても活発に生きている人は沢山います。その活力の一つが競争です。

投稿者 加藤眞三さん : 2005年11月05日 18:17



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