念のため誤解のないように付け加えておきます。
以上の文章はあくまで差別・被差別の第三者である傍観者に対して呼びかけた文であり、被差別者が闘ってはいけないとか、弱者に甘んじなければならないなどと主張するものではありません。
被差別に対して闘う素晴らしい人がいることも存じていますし、そこから本当の運動は始まるものと思っています。
投稿者 加藤眞三さん : 2009年01月03日 06:50
悩む人が悩まざるを得ない場合の多くは無知が起因する場合が非常に多いと思います。そうした人たちに力を与える。知的なエンパワーメントが大事なんでしょうね。
そういう意味合いの中で、こちらのサイトは非常に大きな役割を担っていると思います。健常者が見ても楽しみながら読める。こういうサイトは非常に少ないです。
投稿者 tangenさん : 2009年01月04日 08:37
tangenさん。
励ましのコメントありがとうございます。
しかし、差別の問題はどうも知識だけの知的な問題ではないように思います。
無知が差別の原因になることはあるでしょうが、知識があればあるほど差別する状況もありうるわけです。
それはもう人間としての情的な問題といえるのではないでしょうか。
あるいは、差別をしない社会をつくるという意志の問題であるようにおもえます。
投稿者 加藤眞三さん : 2009年01月04日 09:02
あけましておめでとうございます。
差別を根絶するのなら、人間がいなくならなければ…と思うくらい難しい問題です。
たとえば、こんなこともあります。
私には、4人の子供がいます。
他人はよくこんな質問をしてきます。
「どの子が一番かわいい?やっぱり末っ子?」
私にとっては、綺麗ごとではなく、どの子も差がありません。
こんなたわいもなく聞こえるようなことも、差別とまではいかないまでも何かで、人間に差をつけることの始まりだと感じ、私はこの質問が嫌いです。
そして差別が嫌いです。
投稿者 nanaさん : 2009年01月05日 21:24
nanaさん。
明けましておめでとう。
これは人の序列化の問題ですね。
あるいは、競争やランク付けの問題かもしれません。
ここで他人という人の質問の設定が間違っているのです。
そもそも、質の違うものは量的に順番に並べることはできません。
しかし、何でも順番をつけたがるのは、頭が単純だからでしょう。
世界に一つの花で歌われているように、一人一人違う種を持つのですから、順番をつける必要などないのです。
投稿者 加藤眞三さん : 2009年01月06日 04:36
加藤先生。
差別は、なかなかなくす事ができないですね。
人の心や考えを動かす事は大変難しいです。
投稿者 ますみさん : 2009年01月18日 14:36
ますみさん
掲示板に相談されていたますみさんと思います。
差別はある意味で人間の自己防御のための本能なのかもしれません。しかし、そこから抜け出す何かを見出すことが大切なのだと思います。
後で後悔のないようにがんばり、そして決断をしてください。あなた自身にとって、そのことは人生のとても大きな課題となることでしょう。どこかの時点では何かを捨てざるを得ない場合もあるのかもしれませんが。
投稿者 加藤眞三さん : 2009年01月20日 13:50
「差別やいじめなどないほうが良いに違いないと思いながらも
差別やいじめに加担する人である。
私はその悩む心を大切にしたい。
それが差別やいじめのない社会にするための
第一歩だと考えるからだ。
そして、そこから一歩ずつでも踏み出すことから
社会は変わることだろう。」
まさに自分のことかも・・・と思いました。悩む心を聴いてくれて、大切にしてくれてありがとうございます。
小中高校のときにあるようないじめって防ぐことが難しく、誰もが経験する気がします。そのときに感じた自分の心とそのときの行動を思い出しました。
人の価値観に惑わされず、自分の価値観を信じていきたいなと改めて思いました。
投稿者 ノンさん : 2009年01月22日 13:51
ノンさん。自分の価値観をしっかりともつということは、実は孤独に負けない勇気を必要とする行為なのだと思います。
投稿者 加藤眞三さん : 2009年01月25日 19:00
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