明るくがんばって生きるってどういうことだろうと、ふと考えた。
パーキンソン病になってから、最初の頃に良く言われた言葉だ。
最初のうちは、確かにそうなんだろうな、と漠然と聞いていた。
今は、「そんな若さで難病になって、でも明るくがんばっているのね」と言われることが多くなってきた。
私はいつしかこうかえすようになっていた。
「まあ、そうやって頑張っていくしかないですから。笑」
私の場合は、必然的にそうなってしまう状況に追い込まれたという幸いもあって、病気に対して色々先の不安を自分の中で大切に大切に腐るまでとっておくという行為をせずにすんだのかもしれない。
悩んで立ち止まる前に、生活があったからだと思う。
しかし、患者さんが集まる会などでの様子を聞いたり、実際に参加させて頂いて思うのが、皆さん病気になって、「特有の頑固さ」を持っておられて、その頑固さが自己主張になり、頑固な自己主張ができることが明るく生きているということへ発展してしまったのだろうなと思う場面に多々でくわした。
もちろんそれも、その患者さん一人一人の人生だとは認めている。そうやって、葛藤されてきて今があるらだ。
人の心の動きには過程というものがあると思う。
病気になったばかりの、患者さんやご家族のかたが、悩んでいたとする。
その方たちへのアドバイスが、「もっと明るく生きなきゃだめ」とか、「がんばらなくちゃ、愚痴言っている場合じゃないでしょ」とか、「よくあること、皆乗り越えてきたから、大丈夫。がんばって」などなど、一見励ましあっている前向きな状況のように思えるが、私にとっては信じられなく冷たい言葉を浴びせているように感じることがある。
バランスだと思う。その病気になったばかりの患者さんはきっとそのことばかりを考えているわけではなく、家族のかたも同様で毎日暇もないほど泣いて暮らしているわけではない。
健康だった時と比べると、笑顔や安らげる時間は減ったのかもしれない。
そのことに対して不安があって、また患者同士で不安を共有したり同調することで安心を期待しているのだと思う。
そこまで掘り下げたうえで、悩みや不安を共有しろといっているわけではなく、ただ、お互いの心を楽にすることが、私は明るく生きるにつながると思える。
つまり、「そうだね」とか「つらいね」とかお互いを認め合うだけで良いと思う。
入り込む必要も背負う責任もない。
「あなただけが辛いわけじゃないのよ」と突き放し、自分が優位にたっている錯覚に陥るよりは、どういう状況であれお互いを認め合ったほうが、建設的で穏やかな輪が広がると思う。
それが、思いやりや優しさだと考える。
心が楽になれれば、自然と上昇気流がやってくると思うし、悩みや不安に無理から蓋をするような抑圧の仕方で処理をしていくと、いつか必ず、ひずみが出てくると思うからだ。
辛い、苦しい、なきたい。という感情をオープンにしてみる。
それが明るくがんばって生きるの土台や基礎の一部になってくれるのではないかと、私は考える。
そして、いい情報を共有することが明るく頑張って生きるをどんどん発展させてくれると思う。
賢い患者になる為には、そういった感情の基礎がしっかりとした「素直さ」も必須条件に入ると思う。
賢い=裏を読む、疑り深い、では決してないと思うからだ。
でも・・・・・・・自分自身にも欠けている部分です^^;ハイ・・・。
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